Masuk「今はその令嬢との公務中ですか? ですが、こちらを優先して頂けると助かります。王子がご案内して下さるなら、イーリス殿の案内は不要です」
「ふんっ! オレは忙しいのだ。案内は庭師に任せれば良かろう!」 「そうは参りません。王妃殿下は、ティエリー様に株を分けて下さると仰ったのです」 「?」 ルシアンの言葉に、レオナールは眉をひそめる。だが、何を言われたのか、まったく理解してないようだ。 「王子。私はティエリー様……オスティン帝国、皇太子殿下の遣いで、この場にいるのですよ」 「だから何だ?」 ここまで言っても状況を把握できないレオナールに、ルシアンは笑顔ですごんだ。 「ティエリー様は、王妃殿下のお申し出をありがたく受け取り、直に伺う予定でした。ですが、あいにくティエリー様はとてもお忙しいのです」 そう言って、カミラ嬢に視線を移し、冷めた目で微笑む。 「王子もお忙しいようでいつもエマのことだけを考えてくれた彼女に、楽しい思い出ができたのなら何よりだ。 「ふふ。良かったね、ナタリナ」 「エマ様のおかげですわ」 「僕は何もしてないよ?」 「快く送り出して下さったではありませんか。エマ様の寛大なお心に感謝いたします」 ナタリナはそう言って、エマの前に跪く。 「エマ様にお仕えできて、私は幸せですわ」 「僕も、ナタリナがいてくれて、幸せだよ」 「もったいないお言葉ですわ」 エマを見つめるナタリナの瞳は柔らかく、慈しみに満ちている。 初めて出会った時から変わらない、優しい笑顔だ。 見つめ合って微笑むと、双子が割り込んできた。 「ナタリナ様ばかり、ずるいです~!」 「あたし達も、エマ様が大好きですよ~!」 ナタリナの後ろで、双子が主張を始める。 エマは唇をほころばせ、側仕えの三人を微笑ましく眺めた。 + + + 翌日、昼前にはアレシオン城を出発することとなった。 伯爵一家と別れの挨拶をするときは、みな心からお礼を述べてくれた。とくに、セレナ嬢とフィリップは眦に涙を浮かべて、名残惜しそうな表情だった。 「エマヌエーレ様。こたびは本当にありがとうございました」 「またいつか、お会いできたら嬉しく思います」 心から別れを惜しんでくれて、エマも寂しくなったくらいだ。 城下町を馬車で進むと、来た時と同じように領民が道の両脇に並び、手を振ってくれた。 「聖樹様~! また来て下さいね!」 「聖樹様、ありがとうございます!」 エマは双子と一緒に物見窓から手を振って、彼らに笑顔で別れを告げた。 これからセフォルト領までは二日ほどだ。 「エマ様、楽しみですね!」 「あたし達もワイール領は初めてなので嬉しいです!」 「うん。僕も楽しみだよ」 はしゃぐ双子に笑顔で答えて、行きとは違う道のりを楽しん
長椅子に座って、スースが淹れてくれたお茶を飲む。 一息つくと、シーシが声を弾ませながら尋ねてきた。 「エマ様、帰りはワイール領へ寄られるんですよね?」 「うん。ユリック殿が許可して下さったから、観光しようと思って」 「あたし達も、ワイール領は行ったことないんです~!」 「初めて行くので、楽しみですわ~!」 シーシとスースも、観光と聞いて嬉しそうだ。 夕方になって戻ってきたナタリナにその話をすると、こちらも盛大に歓迎してくれた。 「まあ! ワイール領で観光を! アズレーヌの街は活気があって賑やかなので、よろしいと思いますよ」 アズレーヌは、サファイア鉱山の麓にある街だ。 温泉と宝飾品が有名な観光地で、領主の館もこの街にある。オスティン帝国やザルバード王国の商人たちもやってくるし、平民街と貴族街に分けられているため、身分を問わず多くの観光客が訪れる。 「じゃあ、報告書にあった場所を確認したら、その後はみんなで観光しよう」 「エマ様が宿泊されるのでしたら、アズレーヌの貴族街で、一等地の高級宿を押さえましょう!」 ナタリナが張りきるが、エマは慌てて口を挟む。 「ちょっと待って、ナタリナ。一等地だと、ワイール伯爵の館が近いからダメだよ」 「あら、そうでしたわ。うっかりしてました」 ナタリナが残念そうな顔をする。 今回はこっそり観光で訪れるので、ワイール伯爵に見つかるわけにはいかないのだ。 「では、中央に近い場所で、一番良いところを押さえますね」 「うん。よろしくね」 「エマ様! アズレーヌでは、サファイアの宝飾品が王都より安く購入できるそうですよ~!」 「ロイヤルサファイアの産地ですから、よそでは流通しない限定品もあると聞きました!」 シーシとスースの言葉に、ナタリナが答える。 「シーシと言うとおり、少し安く購入できますわ。王都で販売されるものは、輸送費が上乗せされてますからね」 「輸送費……あと、商人の手数料とか、そういうのもあるよね」
「それよりエマ様、昨夜はあまり召し上がってなかったでしょう?」 「今朝もですわ!」 「今日はゆっくりされると仰ったので、部屋で召し上がれるようにお食事を頼みました~」 「伯爵夫人には、昼食はこちらで摂るとお伝えしてあります~」 双子の心遣いにより、エマは部屋でゆっくり過ごすことができた。 城の厨房から運ばれた食事は、香草で煮込んだ山麓鹿のスープと、黒麦のパンに、地元で採れた山蜂蜜を少し垂らしたものが並んでいた。 素朴だが滋味深い味わいに、エマは自然と頬をほころばせる。 エマは双子たちとおしゃべりしながら、昨日の結婚式の話や、王都へのお土産をどこで買うかなど、いろんな話題で盛り上がった。 エマは、今回の仕事が終わったのでゆっくりしているが、補佐官のユリックは城下町の様子を視察しているらしく、アレシオン伯爵の家臣たちと打ち合わせに出かけている。 (ユリック殿は働き者だな) 昨日の今日で、しっかり動けるのがすごい。 昼下がりになって、ユリックの部下である執務官から、書簡が届けられた。 そこには、明日の昼にはアレシオン城を発ち、王都へ戻る予定であること、そして今回の帰路は、セフォルト領を経由する旨が記されていた。 (あれ……来たときとは違う経路で帰るんだ?) 地図を広げて確認したエマは、ふと胸の奥に引っかかるものがあった。 セフォルト領の隣は、ワイール領だ。 (できれば、ワイール領を通りたいけど……) レオナールから仕事を押しつけられていたとき、報告書にあった鉱山の運搬問題が気になる。 サファイア鉱山近くで小規模な地滑りがあり、盗賊も出ると言っていた。レオナールの筆頭補佐官は、迂回路も整備中だと話していたが、まだ解決していないのだろうか。 (鉱山で働く人達が、困ってないといいけど) 運搬経路の安全が確保されなければ、そこで働く領民も不安だろう。どの程度の被害なのか正確に分かれば、もっと具体的な改善案を出せる。 だから、自分の目で確かめたい。
「王太子殿下が列席されるご予定でしたけど……本音を申し上げれば、聖樹様がお越し下さり、本当にありがたいと思っているのです」 「そうなのですか?」 「ええ。王太子殿下の列席は名誉になりますが、女神様の祝福をいただく方が、私達にとってずっと喜ばしいことですわ」 セレナ嬢は笑顔を店ながら、そっとお腹に手を当てる。 隣に立つ新郎のフィリップを見つめて、優しく微笑んだ。 「領主一族は、国境を守り、領民を守ることが何を置いても優先されます。代々、この地を守ってきた誇りもございます。ですから、一族を増やすこと、その血を絶えさせぬ事が重要なのです」 「領民にとっても、アレシオン伯爵の一族は多ければ多いほど喜ばれます。辺境伯と呼ばれるとおり、領主一族はみな剣を取り、騎士となりますから」 フィリップも、穏やかな眼差しでセレナ嬢を見つめる。 (えっと……子どもがたくさんほしいってことだよね?) エマがちらっとナタリナに視線を向けると、にっこりと頷かれる。 王太子から聞いたときは半信半疑だったが、「聖樹の祝福を得ると、子宝に恵まれる」という言い伝えを、みな本気で信じているのだ。 エマも、いい加減な気持ちで儀式に臨むわけではないので、その効果があるのなら喜ばしいことだと思う。 「お二人の未来に、豊かな実りが訪れますように」 エマは祝福の一節を、あらためて二人に言葉を贈る。 (そっか……実りって、そういう意味もあるんだ) こうして公務に出ることで、いろんなことが見えてくる。 新郎新婦との挨拶が終わると、アレシオン伯爵が杯を手にやってきた。 「エマヌエーレ様! 我が娘のために、遠方よりご足労いただき、感謝いたしますぞ!」 「とんでもありません。お二人の新しい門出に、微力ながらお手伝いができたこと、嬉しく思います」 「エマヌエーレ様は、謙虚な御方だ!」 ガハハッと大声で笑う伯爵に、エマは何と答えていいか迷って、微笑み返した。 葡萄酒を水のように飲んでいるが、酔っている様子はない。だ
エマの手にあるその冠は、今まさに聖なる光が宿ったかのように輝いて見えた。 『聖なる女神イーリスよ。 今日、共に歩む道を選び、互いに結ばれるお二人に、 永き加護と揺るがぬ愛をお与えください』 エマの澄みわたる声が、神殿の高い天井に吸いこまれてゆく。 新郎新婦の瞳には、感激の涙が浮かんでいた。 『これからの未来に、豊かな実りが訪れますように。 その歩みが光に満ち、互いの心を温かく照らし続けますよう。 聖樹エマヌエーレ・イーリスの名において、ここに女神の祝福を授けます。』 祝詞を終えたエマがそっと目を開くと、新郎新婦は揃って女神の冠を受け取り、頭を下げた。 神殿にふわりと風が舞い、まるで本当に女神が微笑み返したようだった。 役目を終えたエマは静かに後方へ退き、再び控える。 まるで、そこに女神が佇んでいるような厳かな空気が、その場を包む。 アレシオン伯爵もユリックも、他の参列者も、しばし言葉を失って見守り続けた。 こうして、挙式はつつがなく、美しく幕を下ろした。 挙式を終えた新郎新婦は、揃って神殿の扉をくぐり、アレシオン城へと続く石畳の道を歩み出した。 晴れ渡る空の下、町の人々が列をなし、花びらを撒きながらふたりを祝福する。 セレナ嬢は緊張の解けた柔らかな笑みを浮かべ、フィリップも誇らしげにその手をとって進む。その姿はまるで絵画の一幕のようで、道行く者すべてが幸せの光に包まれていくようだった。 エマは神殿の階段の上から、幸せいっぱいに歩いていく背中を、静かに見送った。 手を取り合う姿は温かく、眩しくて、羨ましい。 (すごく幸せそう……僕もいつか、ルシアン様とあんなふうに結ばれるのかな) エマは、ルシアンの約束を信じている。 でも、本当にルシアンと結婚できるのか。あの二人のように、周りから祝福されるのか、エマには分からない。 (ルシアン様は帝国の貴族で、皇太子殿下の側近だから……
セレナ嬢の結婚式の日は、あっという間にやってきた。 女神に祝福されたような晴天で、城内が浮き足立っているように感じる。 エマは花嫁でもないのに、早朝から準備に追われた。城内で清めの沐浴を済ませ、儀式前の食事として肉類などを避けた禊の食を頂く。 その後は、城内の礼拝室を借りて女神に祈りを捧げ、儀式で唱える祝詞を小声で復習した。 それが終わると、聖花女たちと共に、神殿へ向かう。 聖樹用の控え室で、着替えのために儀式用の法衣を広げた。 「エマ様のお召し物が間に合って良かったですわ~」 針仕事が得意なスースが、一日かけてエマの法衣に手を加えたのだ。 王宮に移ってからは使うことのなかった儀式用の法衣は、純白の布地に、女神イーリスの象徴であるリンデンの葉の冠と、聖樹の象徴である大樹をモチーフにした意匠が、見事に刺繍されている。神殿時代はそれを着ていたが、スースが「エマ様のお召し物ですから、もっと華やかな方がいいですわ!」と言い出して、急きょ刺繍糸と金糸細工の飾り玉を取り寄せて、装飾にかかったのだ。 「スース。神殿のときもそれを着てたんだし、そのままでいいよ?」 「いけませんわ! エマ様は女神の愛し子! 光り輝く、女神イーリスに相応しい装いを!」 「いや、僕は祝福を授けるだけで……」 「エマ様、スースの好きにさせましょう」 説得しようとしたけど、ナタリナに止められた。 シーシも首を振って、ナタリナに味方する。 「スースは、エマ様のお召し物にこだわりがありますから~」 二人にそう言われて、エマもスースに任せることにした。 そうして仕上がったのが、白銀の糸をふんだんに使い、金と淡い色で、花や鳥、水や風の恵みを美しく描いた、聖樹らしい儀礼用の法衣だ。 光に当てれば淡く反射して、神秘的な雰囲気を醸し出す。 「わぁっ! すごいよ、スース!」 「スゥは頑張りましたわ!」 「シィもお手伝いしましたよ! エマ様が聖樹として祭壇に立つのですから!」 「女神の使いが降臨